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4月のしつらい  端午の節句





五月の風物詩 ………【端午の節句】  


                            今江 美和子



五月五日は母の日?

五月五日は子どもの日である。昭和二十三(1948)年七月二十日発布の法律第一七八号、

国民の祝日に関する法律(祝日法)によって「こどもの人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに、母に感謝する日でもある。」と定められている。


 子どもの幸福については当然のこととして、現在、私たちは「法律的には母に感謝する日でもある」ことを忘れてはいないだろうか。母に感謝する日は母の日であるなどといっても、母の日は法律的に定められたものではない。法律的といえば、母の日はむしろ法令にあるように、五月五日だといえよう。そこでまず、母の日はどんな日であるかという話から始めたい。

 

 五月の第二日曜日が母の日である。母を亡くした者は白、母が健在の者は赤のカーネーションを胸に飾り、母に花束を贈って常日頃の苦労を慰め、母の愛を讃えて感謝する日である。日本ではキリスト教会の働きかけ等によって次第に広まっていったが、昭和二十四(1949)年ごろより母の日として定着するようになった。


 カーネーション carnation は学名をディアントス・カリオフィルス Dianthus caryophyllus といい、「丁字」clove のことである。良い香りを持つので命名されたのであろう。英語のカーネーションは、花冠が王冠(コロナ) corona に似ているので「王冠の形をした花」という意味である。むかし、カーネーション花でつくった花の冠をコロナといい、花をコロネーション coronation(戴冠式)と呼んでいたという。コロネーションが訛ってカーネーションになったわけである。

 カーネーションは、十字架にかかったキリストを見送った聖母マリアが落とした涙のあとに生じた可憐な花ともいわれて、母性愛の象徴となった。そしてそれはキリストの復活につながり、復活したキリストとともに生まれた花として、愛と喜びのシンボルともなった。

白いカーネーションは復活したキリストである。

カーネーションの花言葉は「母の愛情」である。



「悪月の極日」のケガレを祓う

 五月五日はこどもの日、端午の節句である。「端」ははじめの意、端午とは月のはじめの午の日ということである。夏正(正月を寅月とし、十二支の順に月名をつける仕方)によると、五月は午月であるから、午日を厄日として、災厄から逃れ、また不浄を除くための祓えを行った。五月は悪月であったからである。  

 中国では、古代より端午の日に野に出て薬草を摘み、草を武器として遊びをし、舟競渡を行った。また蓬で人形や虎をつくって門にかけ、菖蒲をひたした酒を飲み、蘭を入れた湯にひたるなど、すべて穢をはらい災厄を祓うための行事が行われた。


 端午の日が五月五日になったのは漢代以降、重日思想の影響で「午(ご)」は五に通じるため数字を重ねて祓えの意義を強調し、天意に添うようにしたのである。

 五月は悪月、それは五月の異名ともなったが、陰陽道でいう凶の月で、忌みつつしむ月であった。特に五月五日は悪月の頂点として、その月に生まれた子は父母を殺すとして捨てるならわしがあった。

 戦国末期の斉の君子で、鶏鳴狗盗で有名な、孟嘗君(もうしょうくん)、前漢の平帝を殺し、王莽を推して「新」という国を建設させた王鳳(おうほう)、北宋の文化人・道君皇帝徽宗、北宋の残忍極まりない高綽(こうしゃく)などが五月五日生まれであるが、どうも極めて秀でた人物か極悪人かに分かれるようである。ともかく悪月の極日として五月五日は祓えの日であった。



菖蒲は尚武の精神

 端午の節句は菖蒲の節句といわれる。

菖蒲は香り高いので、邪気を払い疫病を除くといわれている。菖蒲葺として軒にあげ、菖蒲髪として髪にさし、菖蒲枕として枕の下にいれ、菖蒲湯として風呂の中に入れるならわしがある。また葉の形が刀に似ていることから子供が武士をまねて菖蒲刀にし、地面を打ち合って菖蒲打ちを行った。

 

 菖蒲が邪気を払うとされる理由は、むかし中国で平舒王が不忠の臣を殺したが、その魂が毒蛇となって禍をもたらしたので、頭部が赤く葉身の青い蛇の形をした菖蒲を裂いて酒に入れて飲んだところ降魔の術を授かり、蛇を退治したという故事によっている。日本書紀にも仁徳天皇三十九(三五一)年、菖蒲を献上させたことが記されている。


 美しい花を咲かせる「花菖蒲」は、アヤメ科のイリス・エンサク・ホルテンシス(虹の神イーリスのような剣形の庭園栽培の木の意)といい、菖蒲とは品種が異なり香りもなく、葉は剣形で似てはいるが菖蒲湯として用いられることはない。


端午の節句には「柏餅」を食べる。

柏の木は新芽が出ない限り古い葉が落ちないので、家系が絶えないという縁起をかついで柏の葉で包んだ柏餅を食べる。柏餅は江戸時代中期頃に作られたといわれる。柏の葉の表を外にするのが味噌入り、裏を外にするのが餡入りという。

 

 端午の節句には「薬玉」を柱に掛ける風習がある。麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁字(ちょうじ)などの香料を錦の袋に入れて五色の糸を長く垂れたもので、現在でも中華料理店の店内に飾られているのを見ることができる。香と五色とで邪気を払うとされているが、漢の時代より五行説の影響を受けて五色の糸をかけて魔除けの呪いとした風習が薬玉となり、吹き流しとなって伝えられたものである。



五月節句の主役たち

 端午の節句が平安時代の公家社会からだ武士中心の時代へと移るにつれて、女の子から男の子の節句へと変わり、また菖蒲が尚武に縁起することを述べた。武家中心の時代へ移るにつれて、女の家から男子の節句ヘと変わり、また菖蒲が尚武に縁起することを述べた。武家中心の封建社会にあって男子の誕生、そして健やかな力強い男子の成長と立身出世を願って、五月節句には鯉のぼり、武者人形、鎧、兜が飾られるようになった。


       



                      

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