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8月のしつらい  重陽の節句

更新日:2022年10月9日







極数「九」と菊の秘めた力 ・・・・・ 【 重陽の節句 】  

                 

今江 美和子


最高の徳を表す数


九月九日は重陽の節句である。 

どんな日かを述べる前に、まず九という数について考えてみたい。


 古代中国では、すべての根源「太極」(太一)が両儀(陰と陽)を生み、両儀は四象に分

かれ、四象が八卦に分かれて天地と一致してすべての現象となるという、易の原理が成

立した。陰と陽は対立し、互いに消長を繰り返すが、陽が極に達すると陰が崩し、陰が

極に達すれば陽が崩すと考えた。

 

十は全数としての数の頂点に立つものであるが、満つれば欠くるという哲学の上から

好ましくないとされ、「九」を満ちて極まっている数として陽の極数、最高の数と考え、

天の数、そして天子の数として神聖視したのである。さらに九は「糾(きゅう)」「鳩(きゅう)」に通じるので、「あつまる」の意味を持ち、「完成させる」という内容を持つに至った。

 

古代中国では天を九つに分けて九天といい、中国全土を九州といった。

また、宮廷の飾りを九華、天子の宮殿の門を九門、天子の御所を九禁などといった。

さらに、九が最高の徳を表す数として、最も丁寧に客を迎えるときの礼が九頓首であり、

九献であった。

これが後に日本の文化に同化して、九頓首は三拝九杯となり、九献は三三九度の盃とな

ったのである。

 

仏教では、極楽往生する者が生前の行為によって九つの段階に分けられるとされ、

その段階を「九品(くはん)」という。極楽浄土を九品浄土、阿弥陀仏を九品の覚主、極楽

往生を願って行う念仏を九品念仏、極楽往生するとき乗せていってくれる蓮の台を九品蓮台などという。

 九品は上品(じょうしょう)、中品(ちゅうしょう)、下品(げしょう)に分かれて、3×3の三分法を繰り返したものである。

九品仏とは上品上生から下品下生まで九品に分けた阿弥陀仏のことである。


 江戸時代に午前零時、午後零時(正午)を「九(ここの)つ」といい、二時間を「いっとき」として、いっときづつずらして八つ、七つ、六つ、五つ、四つという「とき」の数え方が

あった。さらに九の三倍の二七鐘を打つ代わりに二〇を引いて七つ打ち、午前(午後)四時を「七つ」と定め、以下六つ、五つ、四つとしたものである。

 「九つ過ぎ」というと「ものの盛りを過ぎたこと」の意味であり、「四つ過ぎ」は衣服がまだ新しいこと、「八つ過ぎ」は衣服が古びていることなどの語を見ても、九つを頂点の数としていたことがわかる。

 陽数の代表が九で、竜は9×9=81枚の鱗を持つ聖なる獣である。竜は九似といい、角は鹿、頭は駝(らくだ)、目は鬼、頂は虻(へび)、腹は蜃(おおはまぐり)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ているという。



春の節句と彭祖(ほうそ)


 さて本題に入って、九月九日、重陽の節句の話に移ると、陽数九が重なっているので

「重陽」という。


 この日は菊の節句である。平安時代には菊は「翁草(おきなぐさ)」「千代見草(ちよみぐさ)」「齢草(よわいぐさ)」などといわれ、重陽の節句に酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花をひたして飲むと長生きができるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。


 菊にまつわる中国の故事を紹介すると、菊慈童は名を鏗(こう)といい、周の穆(ぼく)王の侍童であったが、王の枕をまたいだ罪のため、南陽部に流された。ある日、菊の下露が落ちて谷川になっているところで水を汲んで飲むと、甘露のように甘く、心がさわやかになった。菊侍童は不老不死の仙人となり、八百歳まで長生きしたという。


 西魏の文帝が七歳で即位したとき(五三五年)、一人の人相見が文帝を見て、十五歳までの寿だと言った。しかし、後に彭祖(ほうそ)という仙人が九月九日に文帝のもとへ菊の花を献じたので、文帝はその菊を酒にひたして菊酒として飲んで、七十歳までいきたという。

 彭祖は年をとっても顔色が少しも衰えず、少年のように若々しかった。菊水を飲んで長命になったといわれ、服気、導引の道を大成したという。彭祖は菊侍童が仙人となった名であるといわれている。


 九月九日には登高といって山に登る行事があり、茱(しゅ)ゆを魔除けとして飾る風習は、

「読斉諧記(さいかいき)」の中にある説話に由来している。


 桓景(かんけい)は陰陽、神仙術に長じた費長坊の弟子であった。ある日、桓景は長房に、九月九日に大災害のあることを予言されたので、故郷の汝南に渡り、かねて教えられていたように、赤い袋に茱(しゅ)ゆを入れて臂にかけ、早朝、一家をあげて山に登った。夕方家に帰ってみると、家畜はみな人の身代わりとなって死んでいたという。

 端午の節句に薬玉を柱にかけて邪を払う風習があったが、重陽の節句には茱ゆ袋と交換するならわしがある。赤い茱ゆ袋や茱ゆの枝を九月から五月まで柱にかけ、邪気を払い寒さを防ぐ呪いとした。五月から九月まで柱にかけ、邪気を払い、寒さをしのぐのである。


 「茱ゆ」は川薑(かわはじかみ)とも鼬椒(いたちはじかみ)ともいわれるが、ミカン科の「山椒(さんしょう)」のことである。山椒はうなぎに振りかける香辛料、木の芽和えなどで知られている香り高い木で、邪気や悪気を払うという。ミカン科の「山椒(さんしょう)」のことである。山椒はうなぎにふりかける香辛料、木の芽和えなどで知られている香り高い木で、邪気や悪気を払うという。後に茱ゆを「ぐみ」と呼んだために、グミ科の赤い実のなるグミと誤用されたのである。

 中国語と日本語で同じ文字が異なった意味を持つものを挙げてみると、いま説明した「茱ゆ」は、中国では山椒、日本ではグミだった。このほか「鮎」は、中国ではなまず、日本では鮎。「柏」は中国では檜(ひのき)のこと、「梶」は中国では梢、「ゴマメ」は中国ではうつぼ。「(ふぐ)」は中国では鮑、日本では河豚(ふぐ)…などである。


 菊の節句には菊合わせといって、菊を鑑賞する行事は行われている。菊は香り高く気品があるので、邪気をはらい寿命を延ばすと伝えられ、わが国では菊見の宴は、天武天皇十四(六八六)年に行われたのがはじめという。

 また栗飯を炊く習慣もあって、「栗の節句」ともいわれているが、「お九日(くんち)」といって収穫祭の一環とする風習もある。


 お九日は九月九日を神の日、十九日を百姓の日、二十九日を町人の日などといい、

神酒に菊の花を添え、餅をつき、栗飯を炊いて神に感謝する稲の刈り上げの祭りである。

お九日に茄子を食べると中風にかからぬともいう。


 皇室の菊の御紋章は十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇(一一九八年天皇を退位)が特に菊を好まれたために定められたものである。また、最高の勲章である大勲位菊花大綬章は、明治十年に制定され、旭日と菊花を表している。




【感想】___________________________________

  美しい花は数々あれど、日本を象徴する花は、皇室の紋にも使われている、

菊の花のほかにはないと思います。菊は中国から奈良時代に伝わり、江戸時代に

入ってから盛んに品種改良されるようになったそう。菊は一年中、見られる花で

すので、10月〜12月頃が旬とは意外でした。白菊は葬祭用、黄菊は仏花という

イメージですが、それだけではなく色んなシーンで使われているようです。


今年の重陽の節句には、菊の花を飾り、逸話を思い出しながら、お節句を楽しみ

たいと思います。 ___________________________________





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