top of page
  • 2022年10月23日
  • 読了時間: 6分





『 ~千年までと願う子の成長~  七五三 』                           


                            今江 美和子


                                    

霜月十五日は鬼の寝る日


 十一月十五日は七五三である。

子供の健康と成長を祝う行事で、現在も盛んに行われている七五三は、もともとは、

徳川幕府三代将軍 家光の四男 徳松(のちの五代将軍綱吉)の身体が虚弱だったので、

五歳の祝いを慶安三(1650)年十一月十五日に取り行ったのがはじめといわれている。


 十一月十五日という日について考えてみたい。まず、この日がどんな日かを解き明かしていくことにしたい。

 昔の暦にはいろいろな暦法があり、それぞれ吉凶が記されてあったが、その中に「きしく」という暦注がある。「きしく」は「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼宿は二十八宿の二十三番目の宿で「よろずよし、ただし婚礼には忌むべし」という日である。

 江戸時代初期に使われていた暦は唐からもたらされた宣命歴(せんみょうれき)で、宣命暦では月の宿命と朔日の宿名が同じであった。

 宣明暦では、インドの宿曜経にもとづいて、牛宿を除く二十七宿が用いられていた。


角、亢、氏、房、心、尾、箕、斗、(牛)、女、虚、危、室、壁、奎、

婁、胃、昴、畢、觜、参、井、鬼、柳、星、張、翼、軫


 二十七宿は、一日ごとに一つずつ宿がずれるので、下記の表に見るように、月日に対して宿名が一定していた。たとえば、中秋名月八月十五日は、八月一日角宿から十五番目だから婁宿となり、栗名月九月十三日は九月一日氏宿から十三番目なので婁宿となる。そのため、鬼宿は月によって一定の日となる。

  たとえば正月は一日が室宿であるから、そこから十一番にあたる鬼宿は十一日となり、九月は氏宿から始まるので二十日となる。十一月は一日の斗宿から十五番目が鬼宿となるので十五日となる。


 鬼宿は南方を守る霊獣・朱雀の目とされ、鬼宿日は二十七宿の中で最も良い日であるため、二十七宿のうち唯一つ、暦注に「きしく」と記されたのである。大安吉日の元祖といえよう。                                       


宿曜経の“本家”インドでも鬼宿を尊んでいる。


 春四月八日、月は鬼宿に滞在していた。摩耶がルンビニーのアショカ樹園に行き、

その花に手を触れようとしていたとき、釈迦が母の脇腹から生まれた。そのとき蓮華が

花開き、天から甘露が降ってきたという(潅仏会の甘茶は甘露に由来している。) 紀元前四六三年四月八日、釈迦の誕生日のことである。その日が鬼宿であったため、インドでは鬼宿を最善の宿としている。


 古来より田の神は、春には山から降りて田畑を護り、秋には山に帰るという信仰があった。春には稲の生育を神に祈願し、秋には稲の豊穣を感謝する。

 十一月十五日、この日は霜月の祭りである。満月の冴えわたる冷たくすがすがしい日、一年の労働から開放された喜びの日であった。また、徳川時代に徳松のために行われた霜月の祭も鬼宿日である。その上「将軍」という権威が重なって、鬼宿日は祝日とするには最も適した日だったのである。こうして十一月十五日が七五三の日と決められたのである。


 宣命歴は唐の徐昂が編修したもので、日本では聖和天皇の貞観四(八六二)年から渋川春海の貞享歴が採用された貞享元(一六八四)年まで、八二三年間にわたって用いられた。貞享歴以降は、二十八宿を用いて年月日を二八周期で一巡するので、鬼宿日は一定の日にはならないことに注意する必要がある。

  

 「七五三」は、子供の成長の節々に厄災に対する抵抗力をつける、子供の歳祝いである。奇数がめでたい数であり、また体調の変わる年齢でもあるので、七五三として子供に成長を自覚させ、同時に親も過保護の戒めとした。


 「七五三」の祝はめでたいから祝うのでなく、祝うことによってめでたくする信仰である。 

 

 「七つ前は神の子」「七つ未満忌服なし」「悼(とう)(七歳)は罪ありとも刑を加えず」などという言葉があるように、古くは七歳までは社会の一員と認めず、罪も咎められず、喪に服することもなかった。七歳になって氏子入りすると、生存権が認められ、罪も問われ、本葬も行われた。現在、学校教育が七歳から始まるのも同じ原理であろう。


 現在の七五三の日には、なぜお宮参りをするのだろう。子供が成長していく過程で、社会の一員として共同体に立派に参加できるようにと願って神に祈るためである。   

現在の七五三の祝いは、美しく着飾って神社に詣で、千歳飴をぶらさげて帰る程度のものになったが、江戸時代以来の本来の七五三の意味をもう少し考えてみよう。

 

髪置    三歳の男女が前髪をのばす儀式である。生まれて三歳ごろまでは、髪を剃るの  

    が一般の風俗だったので、髪置とは新たに髪型を整えることである。 

    頭頂部の髪を丸く残して結び、周りを剃り落とすのが子供の髪型であった

     髪置きのときには綿帽子と言って白い綿を頭の上にのせ、白髪頭になるまで長生

    きするようにと祈った。このとき白髪綿をかぶせる人を髪置親という。

      三歳になると「紐落とし」といって、着物の付け紐をとり、魂が外に飛び出さ

    ぬようにと付け帯をした。また短い一つ身の着物から長い三つ身の着物に替えるの

    で「三つ身祝い」ともいう。


袴着   五歳の男児が初めて袴をはく儀式である。五歳を「童」というので、童子になる

    祝いである。袴の腰を結ぶ人を袴親といい、名望家がえらばれる。    

     また袴着のとき、子供は冠をつけて基盤の上に乗り四方に向かって神に祈った。

    人生勝負の場として基盤に乗り、どちらを向いても勝つようにとの願いである。

     冠をのせる人は冠親といい、生涯の庇護者であり、保証人ともなる人で、名誉も

    地位もある人がえらばれた。


帯解   七歳の女児が付け帯を解いて大人の帯をしめる儀式である。付け帯をとり八つ口

    をふさいで小袖を着せ、幅の広い帯をする。魂を内にしっかりとどめ、身をもちく

    ずさぬようにとの願いがこめられている。帯を贈るのは親代わりになれるような

    女性で、帯親という。


   髪置親、冠親、帯親など、親以外の者が親という名で子供にかかわることで、とかく

 過保護になりがちな親子関係に冷静な判断が加わることになる。やっと一人歩きするころ   

 の三歳、なんでも自分一人でしたがる五歳、社会に仲間入りする七歳を、数でとらえて祝

 うことによって、自覚とよりよき成長を願う節目が七五三であるといえよう。


千歳飴  七五三で神社に参拝した帰り、子供が引きずるように長い袋を嬉しそうに下げて

    いる。松竹梅や鶴龜をあしらった袋には、紅白の棒飴が入っている。飴のどこを切

    っても金太郎の顔が出てくるものもある。めでたずくめの千歳飴は、宝永の頃

   (1705〜1710年)、江戸浅草で、豊臣残党の一人、平野陣九郎重政が甚右衛 

    門と改名して飴屋となって始めたものといわれている。  

【 感 想 】


 『七五三』と言って思い出すのは、七歳の七五三の時、神社に出かけて帰って来た際に、身に付けていた七五三の小道具一式を道すがら一つ一つ落としてきて、自宅に帰った時には、着ていた衣装だけだったことである。親からは呆れられたが、私も悪気があったわけではなく、どうしようもなかったことを今でも思い出す。


 私には子供がおらず、そのような身支度をする機会もないが、未来を託す子供がいたなら、さぞかし、楽しかったであろうと思う。

 七五三のレポートをまとめて思うことは、親でいるのは大変だろうが、子供にしてあげられる事を思えば、かけがえのない事のように思う。


 世界を見渡せば、幸せな子供ばかりではなく、恵まれない子もいると思うが、どんな子供時代を送ったとしても、自分の力で自分の幸せを掴み取って欲しいと思う。





  


  • 2022年10月9日
  • 読了時間: 3分




お月見 』                           


                            今江 美和子



  

●十五夜とは?  美しい月を眺めるお月見の日 ●2022年の十五夜はいつ?  2022年9月10日(土) 美しい月を眺めるお月見の日として知られているが、十五夜の由来や中秋の名月との違い、月見団子やススキのお供えの方法から、十五夜以外にもお月見にもおすすめと言われている十三夜・十日夜についてもご紹介する。 ●中秋の名月と十五夜は違うのか?  十五夜という言葉は、月齢15日目を指す場合と、月見行事の十五夜を指す場合があり、

旧暦では毎月15日が月齢15日目の十五夜となった。                                     月見行事をする十五夜は、旧暦8月15日の月をさしていう。 お月見行事をする十五夜は、旧暦八月十五日の月をさしていう。 お月見をする旧暦八月十五日の「十五夜」と中秋の名月は同じ。

 旧暦では7月〜9月が秋に当たるが,秋の真ん中にあたる中秋は、 空が澄みわたり最も月が美しく見えるため、

旧暦8月15日の十五夜を「中秋の名月」と呼び、お月見をするようになった。  旧暦の今も、旧暦8月15日の「十五夜」=「中秋の名月」にお月見を行う。

●月見にススキをお供えするのはなぜ?  ススキは月の神様の依り代と考えられている。

本来は実りを象徴する稲穂を供えしたいが、稲刈り前なので、

稲穂に似たススキを用いるようになったと言われている。 ススキのみ、または、秋の草花と一緒に花瓶にいけて供える。

また、ススキの鋭い切り口が魔除けになるとされているため、

お月見の後、軒先にススキを吊るす風習もある。

●月見団子はいつ食べる? お供え方法は?  お米を主食として米文化が根付いている日本の行事には、餅や団子が欠かせない。

お月見では月見団子を供えて作物の収穫に感謝し、

これから実るものに対しては豊作を祈願する。  丸い月見団子は、満月に見立てたものである。 お供えする際は、三方や皿に白い紙を敷き、十五夜にちなんで15個。

(または5個、あるいはその年の満月の数)を盛る。  月見団子はいつ食べるのか気になる人も多いかと思うが、

お月見をした後、月に感謝しながら食べると良い。

●お月見におすすめ!十三夜、十日夜とは? 秋のお月見のことを「十五夜」というが、これはいつ?


 十五夜とは本来は満月のことであるが、年に12回または13回めぐってくる。

なかでも旧暦の8月は一年の中でも最も空が澄み、月が明るく美しいとされていたため、

平安時代から観月の宴が開催され、江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになり、

十五夜といえば旧暦の8月15日を指すようになった。

新暦で表すと月遅れの9月


●今年(令和4年)の十五夜は、いつ?

秋の夜空に浮かぶ、美しい月を眺める「お月見(十五夜)」。

2022年の十五夜は、9月10日(土)である。











夏が過ぎ、涼しくなり始めたこの時期に、満月の夜を見て楽しむのは、日本の秋の風物詩ともいえる。



【 感 想 】 幾度も過ごしてきた、『お月見』の日ですが、 大人になって過ごす『お月見』は、吹く風の音とともに、少し違う気がいたしました。 子供の頃を思い出しながら、同じように手作りしたお団子とともに、 迎えた今年の『お月見』の日は、まずまずのお天気でした。そして、 このレポートを仕上げ、楽しいひとときを過ごさせていただきました。 今月も誠にありがとうございました。




  • 2022年8月21日
  • 読了時間: 6分

更新日:2022年10月9日







極数「九」と菊の秘めた力 ・・・・・ 【 重陽の節句 】  

                 

今江 美和子


最高の徳を表す数


九月九日は重陽の節句である。 

どんな日かを述べる前に、まず九という数について考えてみたい。


 古代中国では、すべての根源「太極」(太一)が両儀(陰と陽)を生み、両儀は四象に分

かれ、四象が八卦に分かれて天地と一致してすべての現象となるという、易の原理が成

立した。陰と陽は対立し、互いに消長を繰り返すが、陽が極に達すると陰が崩し、陰が

極に達すれば陽が崩すと考えた。

 

十は全数としての数の頂点に立つものであるが、満つれば欠くるという哲学の上から

好ましくないとされ、「九」を満ちて極まっている数として陽の極数、最高の数と考え、

天の数、そして天子の数として神聖視したのである。さらに九は「糾(きゅう)」「鳩(きゅう)」に通じるので、「あつまる」の意味を持ち、「完成させる」という内容を持つに至った。

 

古代中国では天を九つに分けて九天といい、中国全土を九州といった。

また、宮廷の飾りを九華、天子の宮殿の門を九門、天子の御所を九禁などといった。

さらに、九が最高の徳を表す数として、最も丁寧に客を迎えるときの礼が九頓首であり、

九献であった。

これが後に日本の文化に同化して、九頓首は三拝九杯となり、九献は三三九度の盃とな

ったのである。

 

仏教では、極楽往生する者が生前の行為によって九つの段階に分けられるとされ、

その段階を「九品(くはん)」という。極楽浄土を九品浄土、阿弥陀仏を九品の覚主、極楽

往生を願って行う念仏を九品念仏、極楽往生するとき乗せていってくれる蓮の台を九品蓮台などという。

 九品は上品(じょうしょう)、中品(ちゅうしょう)、下品(げしょう)に分かれて、3×3の三分法を繰り返したものである。

九品仏とは上品上生から下品下生まで九品に分けた阿弥陀仏のことである。


 江戸時代に午前零時、午後零時(正午)を「九(ここの)つ」といい、二時間を「いっとき」として、いっときづつずらして八つ、七つ、六つ、五つ、四つという「とき」の数え方が

あった。さらに九の三倍の二七鐘を打つ代わりに二〇を引いて七つ打ち、午前(午後)四時を「七つ」と定め、以下六つ、五つ、四つとしたものである。

 「九つ過ぎ」というと「ものの盛りを過ぎたこと」の意味であり、「四つ過ぎ」は衣服がまだ新しいこと、「八つ過ぎ」は衣服が古びていることなどの語を見ても、九つを頂点の数としていたことがわかる。

 陽数の代表が九で、竜は9×9=81枚の鱗を持つ聖なる獣である。竜は九似といい、角は鹿、頭は駝(らくだ)、目は鬼、頂は虻(へび)、腹は蜃(おおはまぐり)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ているという。



春の節句と彭祖(ほうそ)


 さて本題に入って、九月九日、重陽の節句の話に移ると、陽数九が重なっているので

「重陽」という。


 この日は菊の節句である。平安時代には菊は「翁草(おきなぐさ)」「千代見草(ちよみぐさ)」「齢草(よわいぐさ)」などといわれ、重陽の節句に酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花をひたして飲むと長生きができるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。


 菊にまつわる中国の故事を紹介すると、菊慈童は名を鏗(こう)といい、周の穆(ぼく)王の侍童であったが、王の枕をまたいだ罪のため、南陽部に流された。ある日、菊の下露が落ちて谷川になっているところで水を汲んで飲むと、甘露のように甘く、心がさわやかになった。菊侍童は不老不死の仙人となり、八百歳まで長生きしたという。


 西魏の文帝が七歳で即位したとき(五三五年)、一人の人相見が文帝を見て、十五歳までの寿だと言った。しかし、後に彭祖(ほうそ)という仙人が九月九日に文帝のもとへ菊の花を献じたので、文帝はその菊を酒にひたして菊酒として飲んで、七十歳までいきたという。

 彭祖は年をとっても顔色が少しも衰えず、少年のように若々しかった。菊水を飲んで長命になったといわれ、服気、導引の道を大成したという。彭祖は菊侍童が仙人となった名であるといわれている。


 九月九日には登高といって山に登る行事があり、茱(しゅ)ゆを魔除けとして飾る風習は、

「読斉諧記(さいかいき)」の中にある説話に由来している。


 桓景(かんけい)は陰陽、神仙術に長じた費長坊の弟子であった。ある日、桓景は長房に、九月九日に大災害のあることを予言されたので、故郷の汝南に渡り、かねて教えられていたように、赤い袋に茱(しゅ)ゆを入れて臂にかけ、早朝、一家をあげて山に登った。夕方家に帰ってみると、家畜はみな人の身代わりとなって死んでいたという。

 端午の節句に薬玉を柱にかけて邪を払う風習があったが、重陽の節句には茱ゆ袋と交換するならわしがある。赤い茱ゆ袋や茱ゆの枝を九月から五月まで柱にかけ、邪気を払い寒さを防ぐ呪いとした。五月から九月まで柱にかけ、邪気を払い、寒さをしのぐのである。


 「茱ゆ」は川薑(かわはじかみ)とも鼬椒(いたちはじかみ)ともいわれるが、ミカン科の「山椒(さんしょう)」のことである。山椒はうなぎに振りかける香辛料、木の芽和えなどで知られている香り高い木で、邪気や悪気を払うという。ミカン科の「山椒(さんしょう)」のことである。山椒はうなぎにふりかける香辛料、木の芽和えなどで知られている香り高い木で、邪気や悪気を払うという。後に茱ゆを「ぐみ」と呼んだために、グミ科の赤い実のなるグミと誤用されたのである。

 中国語と日本語で同じ文字が異なった意味を持つものを挙げてみると、いま説明した「茱ゆ」は、中国では山椒、日本ではグミだった。このほか「鮎」は、中国ではなまず、日本では鮎。「柏」は中国では檜(ひのき)のこと、「梶」は中国では梢、「ゴマメ」は中国ではうつぼ。「(ふぐ)」は中国では鮑、日本では河豚(ふぐ)…などである。


 菊の節句には菊合わせといって、菊を鑑賞する行事は行われている。菊は香り高く気品があるので、邪気をはらい寿命を延ばすと伝えられ、わが国では菊見の宴は、天武天皇十四(六八六)年に行われたのがはじめという。

 また栗飯を炊く習慣もあって、「栗の節句」ともいわれているが、「お九日(くんち)」といって収穫祭の一環とする風習もある。


 お九日は九月九日を神の日、十九日を百姓の日、二十九日を町人の日などといい、

神酒に菊の花を添え、餅をつき、栗飯を炊いて神に感謝する稲の刈り上げの祭りである。

お九日に茄子を食べると中風にかからぬともいう。


 皇室の菊の御紋章は十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇(一一九八年天皇を退位)が特に菊を好まれたために定められたものである。また、最高の勲章である大勲位菊花大綬章は、明治十年に制定され、旭日と菊花を表している。




【感想】___________________________________

  美しい花は数々あれど、日本を象徴する花は、皇室の紋にも使われている、

菊の花のほかにはないと思います。菊は中国から奈良時代に伝わり、江戸時代に

入ってから盛んに品種改良されるようになったそう。菊は一年中、見られる花で

すので、10月〜12月頃が旬とは意外でした。白菊は葬祭用、黄菊は仏花という

イメージですが、それだけではなく色んなシーンで使われているようです。


今年の重陽の節句には、菊の花を飾り、逸話を思い出しながら、お節句を楽しみ

たいと思います。 ___________________________________





© 2023 by Natural Remedies. Proudly created with Wix.com

    bottom of page